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2012年11月

ネクタイが語る安倍晋三氏の政治思想

 安倍晋三氏のファッションについて
安倍晋三。58歳。前衆議院議員。自由民主党 総裁。元内閣総理大臣(第90代)
 安倍さんは「親米保守」の政治家として有名である。そんな彼はファッションでも「親米」が表れている。彼のファッションのほとんどは奥様昭恵夫人がアドバイスをされているそうだが、どうもそれとは別の彼自身の好みが入っている気がしてならない。
 ここ最近、彼はゴールドのネクタイを愛用している。個人的にはとてもよく似合っていると思うし、安倍さんがゴールドのネクタイをしていてもあまり違和感がない。ゴールドのネクタイというのはわりと派手な感じと同時に嫌味なイメージを相手に与えてしまうことがある。それがブランドもの(ロゴでわかってしまうような)であったりすれば尚更で、どこかの不動産屋さんのように見えてしまうこともある。もちろん、不動産屋さんが悪いわけではないが、政治家にしては派手すぎるということだ。(実際、ある大学の社会学の先生によると不動産屋さんにはゴールドのネクタイをする人が多いそうです)
 先日の党首討論のときも安倍さんはゴールドのネクタイをしていた。戦う姿勢がよく表れていたと思う。安倍さんのネクタイの色は比較的明るい色が多い。もちろん、赤いネクタイもする。ネクタイの柄は安倍さんもまたストライプのものが多い。がしかし、このブログで何度か申し上げていることであるため、お気づきの方も多いだろうが、問題はそのストライプの向きである。日本のネクタイ市場では圧倒的に多い、無難な右上がりのもの(ヨーロッパ式・日本式)か、それとも一部のアメリカのブランド以外にはほとんど見られない左上がりのもの(アメリカ式)か、である。
 冒頭に私は申し上げたが、安倍さんは「親米保守」の政治家である。このブログをご覧になっている方は「まさか」と思うかもしれない。が、その「まさか」なのである。安倍さんのストライプのネクタイほぼ全てが左上がり(アメリカ式)のものなのだ。これは珍しいことなのである。嘘だと思うならば、ご自身の所有しているストライプのネクタイの向きを確認してほしい。トミーヒルフィガーやラルフローレン、ブルックスブラザーズといったアメリカのブランドでない限り、ほぼ一般的なストライプのネクタイは右上がり(「ノ」の字向き)なのだ。だが、安倍さんのほとんどのストライプのネクタイは左上がりなのである。もちろん、公式ホームページに掲載されている昭恵夫人と一緒にいる彼のブルーのネクタイのストライプも左上がりである。安倍晋三氏公式ホームページ→(http://www.s-abe.or.jp/)
 それ以外にも「安倍晋三」で画像検索してみれば、彼がどれほど左上がりのストライプのネクタイを愛用しているかがおわかりになるだろう。やはり、彼は「親米」なのである。一見無難そうなストライプのネクタイ。それは彼が「保守的」であることも意味している。がしかし、そのストライプの向きを見ると、左上がりのもの(日本では珍しいアメリカ式)なのである。「親米保守」といった彼の政治思想がネクタイにもきっちり表れているのだ。これはどうも偶然には思えない。あまりにも彼が着用しているネクタイのストライプの種類が左向きのものが多すぎからである。確かに、ある一つのブランドを愛用しているのかもしれない。しかし、どちらにしてもアメリカのブランドのものであるだろう。アメリカ好き。「親米保守」。彼のネクタイもまた彼の政治思想を語っているのだ。
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安倍新自民党は果たしてどこまで政策を実行できるのか

 今年の9月の総裁選で見事二度目の自民党総裁になった安倍晋三氏。果たして彼には何ができるのだろうか。
 安倍さんはもともと保守派の政治家として有名である。話し方や顔つきから見るイメージはとても穏やかであるが、思想は右翼的な政治家だ。先日も、自衛隊を軍として認め、「国防軍」としての組織作りをしていくことを発言して波紋を呼んだ。今後は集団的自衛権の行使も視野に入れながら、交戦規定に関する法整備を行うらしい。
 私は安倍晋三という政治家がわりと好きだ。先日亡くなった政治評論家の三宅久之氏は安倍氏をとても評価していた。生前、私が少しの時間ではあったが、三宅氏にお会いした時も、安倍さんのことを語っておられたように記憶する。私も、彼の態度やら何やらを見ても、とても品があるし、そういった意味では家柄がとても良い方向に作用していると思う。ただ、政策実行力にはやや欠ける部分があるのも事実だ。当時の安倍総理は渡部喜美元大臣(現在・みんなの党代表)を公務員改革担当として任命し、官僚主義改革に尽力したとも思われたが、結果的に霞が関の徹底抗戦に負けてしまったのは事実である。
 もちろん、当時の安倍内閣は教育基本法改正や国民投票法を成立させたことなど評価できる面もある。慰安婦問題についての社民党の辻本清美衆院議員への答弁書について「軍の強制連行の証拠ない」ことを閣議決定したことは大いに評価すべきだ。閣議決定は官房長官の談話よりもよほど大きな意味合いを持っている。これは歴史的にも重要な決定であった。
 がしかし、彼は靖国神社には参拝しなかった。彼ならば総理大臣になっても参拝してくれると思ったが、結局、それは実現しなかった。今年の10月、つまり二度目の自民党総裁に就任後、彼は秋季例大祭が行われている靖国神社を参拝した。産経新聞は「公約先取り」などと報じていたが、同時に彼は「首相になったら参拝するしないは申し上げない方がいい」とも発言しており、首相に就任したときの参拝についての明言は避けた。これでもし、首相になっても参拝しなかったならば、保守の有権者の票を集めるための選挙前パーフォーパンスだったと批判されても仕方がないと思う。だから、私はもう一度彼には期待するが、それでも、参拝が実行されなかった場合、保守を自認する有権者や政治家は怒るべきだと思う。靖国神社を選挙前のパフォーマンスとして利用することは許されるべきことではない。
 私は安全保障の点では安倍氏に期待するが、国内の「官僚主義」打破や原発政策、TPPについての彼の考えにはあまり賛同できない。原発政策やTPPは考えの相違であるため、これ以上言うことはないが、「官僚主義」打破については果たして彼がどれほど本気であるのか、疑問だ。どうも、安全保障を強化して、強い外交をしていくことで支持率を確保し、国内の行政改革についてはあまり手をつけないような気がしてならないのである。自民党の支持率は各マスコミの世論調査では“一応”20%前後を確保しての首位である。この“一応”と言ったのは世論調査の仕方に問題があることが否めないので、あえて言わせてもらった。
 おそらく、今度の選挙で自民党が議席数を増やすだろうことは間違いない。果たして、組織選挙を展開していくなかで今後の自民党は既得権益を切り捨てることはできるのだろうか。今後の自民党は、後援会や圧力団体にのみ目を向けるのではなく、自民党の安全保障政策に心を打たれ、この国を本気で守ってほしいと一票を投じるであろう有権者の思いを無駄にするべきではない。安全保障に関しては確かに今の自民党の政策は魅力的である。もちろん、個人的にはあまりにも親米的だと思うし、やや行き過ぎたところもあると思う。がしかし、尖閣諸島問題をはじめ、今後の日本の安全保障については課題がたくさんある。ただ、それだけが自民党のすべきことではない。自民党はもっと国民の生活に目を向けるべきである。私はそういった意味でも、自民党には行政改革が期待できない、政策実行力がない、と思ってしまうのである。



ファッションでも「保守的」な石原慎太郎氏のパーソナリティーを読み取る

 石原慎太郎のファッション
石原慎太郎。80歳。前東京都知事。日本維新の会 代表
 先日、突如、東京都の都知事を辞職した石原慎太郎氏。その後、橋下徹氏率いる大阪維新の会と太陽の党(たちあがれ日本の焼き増し)を合流させ、日本維新の会代表に就任した。「最後の御奉公」として「この国をもっと強くしたたかな国に作り直していこう」という決心らしい。最近では「暴走老人」とも呼ばれているが、では彼のファッションはどうだろうか。
まず、彼について言えることは「自己顕示欲」がとても強いということだ。彼はグレーのダブルのスーツをよく着用している。いや「愛用している」という表現のほうが正しいかもしれない。それぐらい、私は彼がグレーのダブルのスーツを着ている姿をよく目にする。似たようなものを何着も持っておられるのは事実で、どうやらそれが彼のお気に入りのデザインであるらしい。このダブルのスーツというのは、はっきり言って現在ではやや時代遅れである。現在、六つのボタンがついたダブルのスーツは流行しているが、彼の着る四つのボタンがついているスーツは一昔前のものである。がしかし、彼は一昔前のものを長く愛用しているということではないと思う。かつては「慎太郎カット」と呼ばれる流行も作り出したほどの御仁であり、現在の話し方や態度を見ていても、とても80歳には思えない「ヤンチャ」な一面がある。おそらく、四つのボタンのダブルのスーツをどこかの仕立て屋さんにオーダーして作らせているのだろう。このオーダースーツというのが私はあまり良いイメージを相手に与えないと思っている。特にこだわりのある人ならば尚更である。自民党などにいる、いわゆる「大物政治家」(古株)と呼ばれる派閥の長(古いタイプの政治家)などの多くの方はオーダースーツを着用していることが多い。そのため、体型がはっきり出てしまっているのがテレビ画面を通してもよくわかる。個人的には既製服のほうが自身のスタイルを隠せるという意味でも、オススメであるのだが、彼らはなかなか既製服を着用しようとしない。一般的な日本人のオジさんスタイルならば既製服で体型を隠すのが賢い選択だと思う。
石原慎太郎氏の公式ホームページにあるプロフィールによると彼は身長181cm、体重78kgとある。これはかなり恰幅がいいと言えるのではないだろうか。80代の年齢層には珍しい体型だ。それだけでも、すでに十分貫録もあるのだが、彼はそれでもなお大きめのスーツを着用する傾向がある。先ほど述べたグレーのダブルのスーツも、ただでさえダブルということだけで、大きく見えるのにも関わらず、彼は自身の体型より大きめのサイズを着用している。それに、ジャケットの襟の部分、これは一般的にラペルと呼ばれているのだが、これも「ピークドラペル」といった先の尖ったものを愛用している。彼のスーツのほとんどがダブルであり、襟はピークドラペルのものだ。もちろん、「ピークドラペル」はダブルのジャケットに多く使用されることも多いのは事実であるが、この先の尖ったジャケットの襟というのは一般的な「ノッチドラペル」と呼ばれるものに比べると相手にとって攻撃的に見えるということがある。石原氏はあえてそれを着用しているのだ。  
石原氏がわりとファッションに気を遣っているのは間違いない。だから、四つボタンのダブルのスーツも、やや流行遅れではあるが、彼は好んでそのデザインを愛用しているのである。その証拠に石原氏はポケットチーフをさしていることが多い。ポケットチーフをさすのはあまりビジネススタイルではないが、オシャレには見える。そのため、やや流行遅れのダブルのスーツを彼が着ているのは、彼がファッションに無頓着な人物で、昔買ったものをそのまま今でも着ているからだという論理は成り立たないのである。私が最初に述べた「自己顕示欲」の強さを示す根拠はここにある。体型が大きいにも関わらず、さらに大きく見せようとして、サイズの合わないスーツを着用している点。先の尖った襟である「ピークドラペル」というある種、攻撃的な襟のついたダブルのスーツを着用する点。これら二つのことでも根拠は十分である。そして、もう一つ言えることがあるとすれば、彼もまた「確固たる信念の持ち主」ということだ。そして保守的なのは政治思想と同様、間違いない。グレーのダブルのスーツの他はほとんど見たことがないというのも、自分のなかでのこだわりを持ったら、それかあるいはそれに似たようなものしか着ないのである。こういう人物は自分が親しいと感じている一部の人間としか付き合わない傾向があると思う。それにネクタイは常にグレーがベースになっているものだけを愛用している。彼は人一倍こだわりが強く、「保守的」な性格はファッションにもよく表れている。
十分身体は大きいにも関わらずさらに大きなサイズを着て、自身を大きく見せようとしている石原慎太郎氏。そして、それに併せて、あの毒舌的な物言いである。そのことを考慮すると、実は「気が小さい」のではないのかと私は疑ってしまう。中身は「小心」であるゆえに、それを悟られないよう、その反動として大きめのスーツを着たり、毒を吐いたりしているのではないだろう、か。どうも私にはそう見える。

ファッションから語る小沢一郎氏の真意

小沢一郎のファッションについて

小沢一郎。70歳。前衆議院議員。国民の生活が第一 代表。
 小沢一郎という政治家には謎が多い。それは本人が多くを語らないのが何よりの原因であるのだろうが、しかしある意味、そこに小沢氏の魅力があるとも言える。多くの小沢ファンが彼の真意について熱く議論することがある。私はそういった場面に何度か出くわしたことがあるのだが、皆口々に自身が解釈した「小沢一郎像」を語るのだ。私も小沢一郎氏についての私見をいくつか持っている。それは多くの方と同様、彼の著書(講談社『日本改造計画』など)、彼の発言(「第七艦隊発言」「天皇会見の30日ルール発言」)、彼の行動(「小選挙区制導入」「数々の新党立ち上げ」「沖縄県の土地購入」「小沢訪中団」「習近平と天皇の特例会見」など)をもとにして連想された政治思想についてである。がしかし、それは検証すればするほど謎が深まるばかりであった。私はここであえて、表面的な部分でありながら、実は人格が表れていると思われる、ファッションの面から小沢一郎氏について分析してみたいと思う。
 ファッションはその人のパーソナリティを表している。服にこだわりがない人であっても、一般的に裸で生活している人はいない。当然のことながら、その服を選ぶということは、結果的に取捨選択をしているのである。そこには無意識のうちにでも意志が働いているのだ。では小沢一郎氏はどうだろうか。
 彼のファッションでまず言えることは「時代遅れ」ということである。これは誤解を与える恐れがあるので、説明させていただくが、もちろん悪い意味ではない。言い方を変えれば、「流行にとらわれない」ということである。私は政治家こそイメージ戦略を大切にするべきだと思っているので、あえてファッションに注目しているのだ。社会のニーズを的確に把握する必要がある政治家は流行を意識する必要があると思っている。もちろん、TPOによってはあえて流行を取り入れないというのもイメージ戦略の1つだろう。だから、「服なんてどうでもいい。大切なのは政策のみ」だとか「ファッションなんてチャラチャラしたものに気を遣っている政治家は信用できない」という意見にはあまり賛成できない。  
 話がややそれてしまったが、小沢一郎氏の話に戻る。彼の、あのいかにも「古いお父さん」のような暗い色のネイビースーツとサイズ感。あれは小沢一郎氏だから許されるのだと思う。一般的に言えばお世辞でもセンスがいいとは言えない。ネクタイも地味なものが多いし、何よりあの大きな結び目と幅の太いネクタイはオシャレとは言い難い。がしかし、もし、小沢一郎がタイトなスーツに比較的細いネクタイをしていたら、はたして「剛腕」と呼ばれていただろうか。おそらく、彼が新党を作っても誰もついていかなかったはずである。あのファッションはまさに流行に迎合しない信念の表れだとは言えないだろうか。クールビズが当たり前になっている今日、どんなに暑い日でも、彼は必ずネクタイを締めて人々の前に登場する。たとえ、ネクタイ好きであったり、ネクタイをしなければ落ち着かないという性格の人でも、普通の人ならば周囲がみんなクールビズを取り入れていると、抵抗することに疲れてしまい、周りに流されてしまうのが自然である。一人だけネクタイを締める勇気はなかなかない。誰かにそのことを指摘されることもあるだろう。がしかし、小沢氏はいくら周囲がクールビズを推奨していてもネクタイを締めないことはないのである。それほど意志が強い人物なのだ。自分がこうあるべきだと思ったことについては周囲がどう行動しようとも曲げることのできない性格なのだと思う。よく言えば「立派な信念の持ち主」。悪く言えば「意固地」である。もう一つ考えられるのは、周囲にそれを指摘する人物がいないのだと思う。「今日は暑いですから、環境省が推薦しているクールビズを小沢先生もぜひ導入してみてください」だとか「小沢さん、そのネクタイはちょっと流行遅れじゃないですか」だとか。もちろん、小沢一郎氏に物申すのには相当の勇気と関係性が必要になるであろう。だから、身内の誰かが指摘するといったことがあっても良いと私は思う。そうすれば、そのハードルも下がる。そういうことを考慮するとやはり「確固たる信念の持ち主」であることがそこからわかる。
最近、小沢氏が釣りをしたり、ゴルフをしたりする姿をメディアで見ることがないので、彼の私服を見る機会がほとんどない。だから余計に彼がスーツを着用しているイメージは強い。それは、もちろん、先ほどから述べているように必ずネクタイを締めて、である。
 2010年8月19日 鳩山家の別荘で懇親会が行われた。そこで乾杯をする姿の小沢一郎氏の写真がある。(毎日新聞のニュースサイト 毎日jp「小沢一郎氏の軌跡」を参照 http://mainichi.jp/graph/select/archive/ozawashock/selectarchiveozawashock/069.html) 周囲の政治家はみんなスーツを着用していたとしても、誰一人としてネクタイを締める者はいない。懇親会なのだから当然と言えば当然だ。がしかし、やはりそこでも小沢氏はネクタイを締めているのである。(鳩山氏が変わった柄のシャツを着ているのも印象的ですが…)
 小沢一郎。彼が「剛腕」と呼ばれるのは何も政治活動だけではない。ファッションセンスにもその「剛腕」さが表れている。真夏でもネクタイをしていることについて誰にも指摘させない「剛腕」さ。いや、もしかしたら過去には指摘した者があったのかもしれない。がしかし、もしそうだったとすれば、彼は自身で考えた「信念」を曲げていないのである。 
最後に余談であるが、もちろん、彼のするネクタイの柄のストライプはほとんど右上がりのもの(一般的なもの)である。左上がりの(アメリカ式)ものはあまり見たことがない。これは無難なものを着用するという彼の「保守的思想」の表れか、はたまた「対米自立精神」の表れなのだろうか。こう考えるのには根拠薄弱でやや妄想が膨らみすぎた結果であるのだろうが、ファッション面でも、やはり私は「剛腕」小沢一郎氏の真意について量りかねているのである。

小沢一郎裁判の無罪判決について


 資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐり、政治資金規正法違反(虚偽記載)罪で強制起訴された元民主党代表で「国民の生活が第一」代表、小沢一郎被告(70)の控訴審判決公判が12日、東京高裁で開かれた。小川正持裁判長は無罪を言い渡した1審判決を支持、検察官役の指定弁護士側の控訴を棄却した。

 2012年11月12日、小沢一郎に無罪判決が言い渡された。私は当然の判決だと思っている。「小沢裁判は政治的謀略だ」と文芸評論家の山崎行太郎氏は自身のブログを中心に語っているが、そのように捉えられてもおかしくない裁判であった。まさか、三権分立が確立している(制度上)日本の司法の場において政治介入などあり得るはずもないし、また、そういうのは一部の陰謀論に過ぎないと思っていた。がしかし、小沢裁判を詳しく調べていくなかで、私は山崎氏の考えに共感せざるを得なかった。もはや検察の暴走は明らかである。郵便不正事件でもそうであったが、検察が証拠を捏造したのは事実だ。そして、小沢氏を巻き込んだのである。これは許されるべきことではない。小沢事件が無罪になった以上、この裁判に関わった検察の人間は責任を取るべきである。もちろん、検察審査会(最高裁判所)が強制起訴をしたという、その経緯も国会で調査する必要がある。証拠捏造は絶対にあってはならない。もしそれが許されるのならば我々市民は無抵抗で犯罪者になってしまう可能性がある。検察の見込み捜査は小沢一郎という大物政治家の政治活動を妨害しただけではなく、日本国民の生活を脅かしているともいえるのである。この事件は日本の議会制民主主義の崩壊を意味している。この事件を発端に国民は大いに危機感を抱くべきだ。参議院議員会館一階で開かれた「小沢一郎裁判報告会」には超党派で多くの国会議員たちが集結していた。彼らはこの事件を契機に即刻、検察改革に取り組む必要があるだろう。私はその会に出席していたのだが、会のなかで弁護士の伊藤章氏は今後、検察官役の指定弁護士も上告はしないだろうとの見方を示していた。(実際、11月19日検察官役の指定弁護士は最高裁への上告を断念し、上訴権を放棄した。これで小沢一郎氏の無罪が確定した)ようやく小沢一郎氏の長い戦いは終わりをつげられそうである。2009年3月、政権交代を目前に控えた民主党代表の座にあった小沢一郎氏の公設第一秘書がいきなり逮捕されたのがこの事件の始まりであった。当時、マスコミは大々的に「政治とカネ」にまつわる諸悪の大根源としてこの事件を報じた。結果、小沢一郎氏は党の役職を辞任せざるを得なくなったのである。がしかし、現在、二審で無罪判決を言い渡された小沢一郎の汚名を晴らそうとするマスコミはどこにもいない。それどころか、あろうことか無罪になってもなお説明責任を求める声に便乗する動きもある。嘆かわしい限りだ。この三年間はいったい何であったのだろうか。政治や歴史に「if」は禁物と言われているが、「もし、小沢一郎氏がこのような政治裁判に巻き込まれていなければ…」と考えてしまうことがある。がしかし、いつまでもそれを嘆いていても仕方ない。今はただ、不死鳥小沢一郎の復権を祈るばかりである。

橋下徹のファッションは反骨精神の表れか。

橋下徹。43歳。大阪市長。日本維新の会代表代行。
 前回のブログでは週刊朝日の橋下市長についての記事について私見を述べさせてもらった。今日はそんな彼のファッションについて書いてみたいと思う。橋下市長のファッションは個人的に嫌いでない。というか、むしろ好きなくらいである。とても好感がもてるファッションだと思う。彼はよく冬の時期になるとタートルネックを着用する。もちろん、議会などの公式の場ではネクタイを締めているが、冬の選挙応援や街頭演説などでは必ずと言っていいほど、黒のタートルネックを着ている。それにライトグレーのジャケットを合わせており、サイズ感も悪くない。ただ、タートルネックの首元がきれいにおられてなくユルユルな感じなのは何故だろうかと思ってしまう。おそらく、彼のファッションは奥さんが決めていると思う。女性の視点が入っていることには間違いない。そうでなければ、黒のタートルネックにライトグレーのジャケットは合わせられないはずだ。黒のタートルネックを選挙戦で着るという発想もなかなかできなければ、それに明るいジャケットを合わせることなど普通の政治家のオジさんが考えつくはずもないのである。何故かWikipediaでの彼の写真もタートルネック姿になっているのだが、彼は公式の場では必ずネクタイも締める(ようになった)。タレント弁護士としてテレビに出演していた時代にはジーンズにサングラスで茶髪姿だった彼も今はその面影もない。ネクタイという機能的でないにも関わらず締めることが社会の常識となっているアイテムも彼はきっちり取り入れることで選挙に当選したのである。それは風雲児とも呼ばれた弁護士時代から反社会的思想がなくなったことを意味しているのではないだろうか。彼は明らかにタレント弁護士時代から変わったのである。もちろん良い意味で。しかし、政治家になるならば当然のことである。政治家は権威そのものであり、社会の規範にならなければならない存在である。公式の場でネクタイは締めて然るべきである。(当選したければ…)彼の締めるネクタイは比較的明るい色が多い。だからといって、柄も小紋やペイズリーなどではなくて無難なストライプが多い。
 ではここからが本題である。橋下市長の公式ホームページで着用しているネクタイの柄もストライプである。(橋下市長の公式ホームページ:http://www.hashimoto-toru.com/)がしかし、そのストライプは日本では珍しい左上がりのものだった。たいてい日本のネクタイはヨーロッパ(イギリス)の影響を強く受けているため、右上がりのものが多い。ヨーロッパのブランドはほぼ右上がりのストライプ(「ノ」の字タイプ)である。それに比べてアメリカ人は左上がりのストライプを着用している人が多い。それはアメリカのブランドがネクタイを作るときにヨーロッパ式に反発して、それとは逆の左上がりのストライプにしたというのがどうやら起源であるらしい。確かに、トミーヒルフィガーやラルフローレンのストライプのネクタイはほぼ左上がりである。橋下市長の公式ホームページのネクタイはアメリカ式の左上がりのネクタイだった。これがいかに珍しいことであるか。確かに大したことではないのかもしれない。では、実際に、みなさんもご自身が所有するネクタイで左上がりのものを探してみてください。上記のブランド好きの方でなければほとんどの方は左上がりのストライプ柄は所有していないはずである。では、いったい橋下市長は何故このようなアメリカ式のネクタイを着用しているのか。これは単なる偶然かもしれない。がしかし、私にはただの偶然には思えない。一見同じような無難なストライプに見ても実は珍しいアメリカ式のネクタイ。これがまさに「他人とは違うんだ」という彼の自己顕示欲のあらわれとは考えられないだろうか。また、もしかしたら、そこには“親米”という彼の思想がネクタイにも反映されていたのかもしれない。

週刊朝日の橋下報道について

橋下徹市長と週刊朝日との対決が橋下氏の勝利で終焉した。朝日新聞も週刊朝日も相変わらず下劣なメディアである。私が訪れた都内の数件のコンビニでは久々に週刊朝日が見事に売り切れていた。ある意味、週刊朝日も得をしたのかもしれない。がしかし、たとえ商業的に成功したのだとしても、ジャーナリズムとしての敗北はメディアにとって大きな痛手になるはずである。今回のこの騒動について私は2点に注目したい。1点は被差別部落だとされる地域名を明かして記事を書いたことである。これは差別を助長したととらえられてもおかしくない問題である。現代の日本において許されるべきことではない。市長が会見で主張していた通り、まして人権擁護を長年掲げてきた朝日新聞系列の週刊誌がこのような記事を連載させたというのは編集部が血迷ったとしか思えない。それくらい恥ずべき問題である。そして、もう1点は「DNAをさかのぼり本性をあぶり出」そうとする、血脈絶対主義を貫く佐野眞一氏の主張である。このような主張は現代に受け入れられるものではないと思う。敵対者を認めない非寛容な彼の性格が彼の血脈に由来しているとするのは明らかに暴論である。これはもはやジャーナリズムでもなんでもない。橋下氏に政治的信念がないというのならば、こんな形で記事を書いた佐野氏の信念を伺いたい。この記事を書くことであなたは何を目的としていたのか、と。私は彼の精神構造を疑わずにはいられないのである。堂々と「政治手法を検証するわけではない」「橋下家のルーツについてできるだけ調べ上げなければならない」と語る佐野氏は果たして何を主張したかったのか。公人である橋本市長のルーツをあぶり出すことで、日本国民が彼に愛想を尽かすことを狙っていたのだろうか。もし、そうだとすれば、それこそ日本国民をなめているとしか言い様がない。出自こそ人格であると考えて、それを選挙のときの判断基準とする国民が多い国ならばこの国に明るい未来などない。そんなことは絶対にないと私は思っている。たとえ、それが少なからず判断基準となったとしても、そのことをわざわざメディアが報道する意図が果たしてどこにあるのだろうか。甚だ疑問である。これは卑怯な政治操作である。絶対に許してはならない。