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2013年01月

小林秀雄が教えてくれるもの

「小林秀雄が教えてくれるもの」

 先日、初めて立ち寄った焼き鳥屋さんの店主やお客さんと談笑していたところ、いつの間にか話題が文学の話になっていた。横に座っていた会社員の男性はあまり本を読んでいないとおっしゃっていたが、ドラッカーなどの経済に関する本は最近でも読んでいるらしい。そして、何より私が驚いたのは60代と思しき店主の方が、小林秀雄を愛読書にしているということであった。話し込んでいるうちに、実際、厨房にあった『考えるヒント』を見せてくれたのだが、本の状態から推測しても相当読み込んでいる様子だった。店主さんは数年前にお店のことや人生のことで悩んでいたときに、たまたま昔読んだ『考えるヒント』について思い出し、それが若いころに勇気をくれたということで今回、再びページをめくったらしい。実際、それを読んだことで吹っ切れたことがいくつかあったらしいが、私はそのときにも改めて小林秀雄の凄さを痛感した。

 小林秀雄の『考えるヒント』の中身は一見すると、焼き鳥屋さんの店主さんの人生とはほとんど関係のなさそうな文学作品である。それは焼き鳥屋さんという職種だからということではなくて、何も焼き鳥屋さんに限らず、文学を専門にやっているか、もしくはよほど批評文が好きな方でない限り、手にとって読む気になるような、馴染みのある文学作品ではないからだ。ただ単に、私が勉強不足なだけなのかもしれないが、現在でも小林秀雄を愛読書にしているという、一般の会社員の方などはそう多くないと思う。

 私は戦後最大の“批評家”であると思うのだが、小林秀雄はすでに「過去の人」という認識をされてもおかしくはない。電車のなかで本を読んでいる人がいると、いやしいながらも、私は誰のどんな本を読んでいるのか覗き見をすることがあるが、男性の場合であったら、大抵は時代劇小説かもしくは浅田次郎氏などの流行作品である。そして、女性の場合であったら、村上春樹氏や女性作家の小説などをよく目にする。そんななか、たまたま立ち寄った焼き鳥屋さんの店主の愛読書が小林秀雄であったので私はとても驚いたのである。そして、改めて、小林秀雄の凄さを感じたのである。読む人の職種や年齢に関係なく、人生に影響を与えるほどの作品を残す、その才能には敬服せざるを得ない。

 私は『考えるヒント』シリーズのなかでもいくつか好きな作品があるのだが、今日は『考えるヒント2』の「忠臣蔵Ⅰ」、「忠臣蔵Ⅱ」について少々感想を述べたいと思う。この二作品もまた、小林の魅力が存分に出ている作品だと思うのだが、「忠臣蔵」という誰もが知っている作品を取り扱いながら、実際は芸術論、人生論、歴史論、武士道論などが語られているのであり、そして不思議にもその優れた論がどれも納得できるのである。一見、忠臣蔵について書かれていながら優れた歴史論であるのだが、それは小林の最大の魅力であろう。彼の文学にはしばしばこういうことがある。

 「常識について」語っているものが実は優れたデカルト論であったり、「私の人生観」について語っているものが実は優れた宮本武蔵論だったりといったように、不思議な魅力があるのだ。それは決してありとあらゆる参考文献をもとにした学者的論文ではないのだが、何故か心に染み入るのである。今回の「忠臣蔵」も、「忠臣蔵」をもとにしながら様々なことが語られている。後半の武士道に関する点や歴史家に対する彼の批判は秀逸というべき他はないほどであると思う。多くの資料や史跡をもとにして研究した歴史家が語る「忠臣蔵」の解説よりよほど面白いのである。私が気に入っている文章を引用してみたいと思う。

 「(浅野内匠頭が)十七歳の少年時代、やはり勅使饗応掛りを勤め、首尾よく行ったのに、三十五歳になり、すこしばかり知恵がついたところで、又勤めてみたら、飛んだ失敗を仕出かした。彼は、上野介に切付けた時、思い知ったかと大声を発したと言われるが、それが確かでないとしても、思い知ったのは当人であった事に、間違いあるまい」
 
 私はこれを読んだときに、「歳をとれば賢くなる」とよく言われるが、徒に歳をとっても意味がないということを感じたのである。確かに年齢を重ねて経験を積むことで賢くなることも大いにあるが、ただ単に歳をとったのでは意味がないということだ。そいて、何より、感心したのは最後のオチとその視点である。「忠臣蔵」についてこの角度からこういった文章を書ける批評家が果たしてどれほどいるだろうか。まして、「歴史家」と言われる人々には書けない文章だと私は思う。文献で頭をいっぱいにしていてはこの文章は書けない。これは「文藝批評家」だからこそ書けた「忠臣蔵」の解説である。このあとにもまだ「忠臣蔵」について続くのだが、それはぜひ興味を持った方がいらしたら、読んでほしい。

 現在の日本では何事も専門的な分野は専門家に任せるべきだという風潮がある。確かにそれも必要であろう。しかし、ありとあらゆる分野を自身の「直観」にしたがって批評した小林秀雄の功績もまた文学にはあるのである。それは忘れてはならない。文学者だからこそ語れる政治論や芸術論、歴史論があると思う。小林秀雄はそのことを私たちに教えてくれているのである。現在、「常識」とされている「餅は餅屋」という発想が全て正しいというわけではない、ということを。
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良くも悪くも“保守”である自民党

あけましておめでとうございます。2013年も僭越な文章をブログに掲載することになると思いますが、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 2013年の7月には参議院選挙がある。この選挙が日本政治の分岐点になることは間違いない。この選挙でも自民党が大勝するようなことになれば、衆参のねじれは解消され、不幸にも?自民党の長期政権が続くことになるだろう。自民党は分裂するような政党ではない。良くも悪くも“保守”政党である。小沢一郎氏のように党を割ってでも自身の政治理念を貫き通すような気骨のある政治家はいない。かつての「利権」という旨味を知っている政党である。その「しがらみ」や「既得権益」を守り続けることで団結してきたのが他でもない自民党である。そして、その自民党が戦後、大企業や宗教団体と手を組んで多くの利権を享受してきた結果、現在の日本が出来上がったのである。自民党が政権に返り咲いた今、私には日本政治が再びその時代の政治に戻りつつあるような気がしてならないのだ。

 おそらく、自民党は参議院選挙で再び勝利するためにも7月の選挙までは安全運転を心がけるだろう。半年で再び手に入るだろう「利権政治」を見す見す逃すような政党ではない。何より、政府(自民党)が与野党で激突するような法案を提出する必要がないというのは強みである。本来であれば政権のダメージになるはずの「赤字国債発行特例法案」も自民、民主、公明の3党の間で2015年度まで赤字国債の発行を自動的に認める合意をしているため、通常国会で与野党が激突するようなことがないのだ。
しかし、参議院選挙まで大人しくしていた自民党が再び大勝したときに何を仕出かすかはわからない。もちろん、改憲の可能性も大いにある。安倍氏の語る「国防軍」の発想も現実味が帯びてきたのだ。たとえ公明党が反対したとしても、現在の自民党には維新の会と連携するという選択肢がある。これは改憲に向けてそう遠くはないことを意味しているのではないだろうか。

 実は、もともと、私は憲法改正には大いに賛成である。政治家では小沢一郎氏の他に田中康夫氏などを支持しているため、誤解されることもあるが、もともと私は「憲法改正」や「自主防衛」は日本が健全な国家として成り立つためにも早々にするべきだと思っている。現在の日本国憲法はGHQ占領下にアメリカ主導で作られたものであることは歴史的にも間違いない。自分たちの憲法を自分たちで作るのは当然の権利である。同時に、自分たちの国を自分たちの力で守るというのも国家として当然のことだと思っている。それが実現できていない日本は「真の独立国家」とは言えないと私は考えているのだ。

 だから、本来であれば現在の自民党の政策を積極的に支持するのが筋であるのだろう。がしかし、今の自民党に憲法改正を任せられないというのが心情である。戦後何十年も改憲をすることなく、「事なかれ主義」を押し通してきたのは紛れもなく自民党である。そんな無責任な政党に果たして改憲をする権利があるのだろうか。そして、何より、現在の自民党があまりにも「米国隷属」政党の体制であることを私は問題視するのだ。これは自民党だけの問題ではないのかもしれないが、自民党は「国防軍」という発想を持ちながらも「対米自立」という声は全く聞こえてこない。中国には強硬な姿勢をとるかのような態度を見せながらも、相変わらずアメリカには何も言えないままである。自民党には他国の軍隊が常時駐留している現状を打破しようとする精神が全く見えない。沖縄の基地負担を減らそうとする努力を何故しないのか、私には甚だ疑問である。何のために、「自衛隊」でなく「国防軍」にするのかをはっきりさせるべきだ。沖縄の基地負担を減らすためにも、米軍ではなく、今と違った形で日本の軍隊を沖縄に置くのが筋である。

 前回の安倍内閣では「戦後レジームからの脱却」を謳っていたが、「戦後レジームからの脱却」と謳うならば、まず 「対米自立」の精神が基本ではないだろうか。「戦後レジーム」の最たるものが「米国支配」である。米国支配の象徴的なものは紛れもなく、常時駐留している「米軍」である。他国の軍隊が常時駐留している現状では「真の独立国家」だとは言えまい。

 もちろん、現在のアジア情勢を見る限りでは、米軍の抑止力も必要になってくると思う。しかし、それに頼ることなく、独自の軍事力で国を守るのは国家としての最低限の基本である。米軍の抑止力が常時駐留である必要がなくなるほどに、日本独自で軍事力を備えることが基地負担を減らす近道であり、そして、それこそ、日本が「真の独立国家」になるための一歩である。そのためにも、私は憲法改正が必要だと思うのだ。しかし、繰り返しになってしまうが、戦後何十年も改憲をすることなく「事なかれ主義」を押し通した「米国隷属」政党の自民党には憲法改正をさせたくないのである。