FC2ブログ

2013年03月

“ファッション”と“わたしはだれ?”

「“ファッション”と“わたしはだれ?”」

 ファッションについてバカにする人がいる。「ファッションなんて、中身に自身のない奴が着飾るものだ」と。しかしながら、そういう人も服を着ずにはいられないのである。どんな人でも日常生活を過ごしていく上では服を着ることになる。政治家だって、哲学者だって、主婦だって、もちろん一般の会社員だって、みんな服は着る。ファッションのことばかりに気をとられているのは格好悪いことかもしれないが、ファッションにまったく無関心の人はさらに格好悪いと思う。

 私はファッションそのものも好きだが、ファンションで“自由”に服装と遊んでいる人が好きである。

 かつて、フランスの哲学者のロラン・バルトは、ファッションを、「わたしはだれ?」という問いと戯れる行為と定義した。「わたしはだれ?」。これこそまさに哲学である。今日の日本社会では「らしさ」を意識した服を着ることが真っ当とされている。会社員は会社員らしく、ネイビーかグレーのスーツを着るのが一般的であるように、階級社会でない日本であっても、みんな「らしい」服装を大切にする。それは秩序が保たれている社会の証なのかもしれない。しかし、そんな人でも休日には何かこだわりのある私服を着ているのではないだろうか。

 そして、私にはマネできないが、「わたしはだれ?」を常にはぐらかそうと画策する人はヨウジヤマモトだったり、コムデギャルソンだったりを着ている。ヨウジやギャルソンの服は自分が何者であるかを特定できない魅力を持っている。私は服装からその人の職業や経歴を想像することもあるが、ヨウジやギャルソンの服を身にまとう人についてはなかなか当てることができない。

 だから、私はヨウジやギャルソンの服を着ている人を見るとワクワクする。本当の意味での「らしさ」を持っているような気がするからだ。ヨウジやギャルソンの服は本当に個性を感じさせてくれる。グレーやネイビーのスーツ、ジーンズに白シャツといった服装が蔓延している日本でヨウジやギャルソンの服はとりわけ目立つのではないだろうか。私にはそれらのブランドの服を着ている人が常に「わたしはだれ?」を考えているような気がするのだ。

 もちろん、私は、平日に毎朝グレーやネイビーのスーツを着て通勤電車に揺られている人を尊敬している。彼らが日本社会を作り出しているのは事実だ。しかしながら、そんな彼らが休日に、ヨウジやギャルソンを着て、「わたしはだれ?」を考えているような日本になってほしいとも思っている。階級社会がない日本である。服装は自由なのだ。確かに、平日のお仕事では自由な服を着るわけにはいかない。

 だからこそ、本当の意味での「らしさ」や“個性”を大切にするためにも、たまには普段の型にはまった服装から抜け出して、「わたしはだれ?」という問いと戯れる服装をしてほしいと思う。
スポンサーサイト