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2013年05月

“ここぞ”で過つ、菅直人氏のファッション


菅直人。66歳。衆議院議員。民主党最高顧問。元内閣総理大臣(第94代)

 菅直人氏のファッションに関するエピソードで真っ先に思い浮かべることがある。それは首相に就任した二日後、多くのマスコミが注目しているなか、菅氏は政府口蹄疫対策本部に“満を持して”出席したつもりなのだろうが、そのときに、彼は、ブランドのタグが左袖に付いたままのスーツを着用してきてしまったのである。
 
これは菅氏にとってあまりにもきまり悪いエピソードの1つだが、私にはそれが彼の性格と政治的手腕をよく表していると思う。
 
菅氏の物事の考え方はどうも短絡的に見えてしまう。それはかつて、O157問題で風評被害を払拭しようとマスコミの前でカイワレを食べるといった“原始的”な政治アピールをしてきた時分から全く変わっていない。年金未納問題で他党の議員を「未納3兄弟」などと批判したら、自身も、厚生大臣時代に年金が未納だったことが発覚してしまい、「お遍路の旅」に出たときもそうである。また、総理大臣時代には福島原発事故が起きたときに何故かヘリで上空から“視察”をしたり、その後に東電本社に怒鳴り込んだりと、それらのエピソードの全てが短絡的な思考をもとにした行動である。彼にはそういった軽率な行動が多すぎるのだが、おまけに「癇癪持ち」だというのだから驚きあきれてしまう。
 
 しかし、上記のことは“笑い話”では済まされない。彼の行動がどれほど日本政治に不利益を与えたことだろう、か。
 
 確かに彼の気持ちもわからなくもない。首相就任二日後で、マスコミが注目しているだろうことを考え、“良い格好”を見せようとスーツを新調しようとしたところまではわかる。それは人情である。がしかし、それさえも短絡的な思考だと言えることなのかもしれないが、何より問題なのは、“満を持して”新調したスーツにブランドのタグが付いたままであったということである。そして、その“粗相”こそ、私は菅氏の政治スタイルそのものだと思うのだ。大事な場面で常に“失敗”をしてしまうのである。「ここぞ」というときに決められないオトコだと言えるのかもしれない。これは政治家として致命的である。これは単なる“うっかりミス”の笑い話ではない。彼の短絡的な政治スタイルそのものである。

 一見すると、彼のスーツはサイズ感も合っているし、生地も高級なものである。ネクタイもオシャレな色を締めるときがある。本来であれば評価されるべき(当然の意)ファッションだ。しかしながら、それがむしろ板についていないと私は思ってしまうのだ。その理由は明白である。「庶民派」や「市民運動出身」をアピールする政治家でありながら、高級ブランドのスーツを首相就任とともに着用してしまう“センス”が頂けないのである。

 民主党時代から仕立ての良いスーツを徐々に着るようになっていったということは写真を見る限り推測できる。しかし、“市民運動家”であった彼は、権威だとかブランドだとかを打破しようと政治家を志してきたはずが、いつのまにか権力を握るとその権力に固執してしまったのである。

 彼が“付けていた”タグのブランドはドイツの高級ブランドである「ヒューゴ・ボス」のものだった。それは一着15万円前後するスーツをたくさん販売しているブランドである。私は「良いスーツを着ているから庶民的ではない」というつもりは毛頭ない。ただ、彼の政治的スタンスとそのブランドのスーツがあまりにもちぐはぐである点を私は指摘しているのである。そして、そのタグを付けたまま、首相就任2日目の会議に出席してしまうといった行動は誰の目にも“軽率さ”が明らかである。彼の痛ましい政治スタイルは多くの人に見透かされてしまうのだろう。
 
 私は、菅直人氏が一時的ではあったものの、日本の総理大臣であったという事実は憲政史上最大の汚点だと思っている。彼のこれまでの政治活動はただ単に短絡的に思いついたことを軽率に行動してきた結果ではないだろう、か。そして、それが見事に彼のファッションに表れていたのである。それこそがファッションの恐るべき“表徴性”であり、私がファッションから政治を語っている所以である。
 
 ちなみに、菅氏の着ていた「ヒューゴ・ボス」というブランドはかつてナチスの制服をデザインしていたことでも知られているブランドである。菅氏がそのことを知っているかどうかは定かではないが、イタリアのブランドでもなくフランスのブランドでもなく、無論、日本製でもなく、あえてドイツのブランドである「ヒューゴ・ボス」を選んでいるという点に私は、なんとなく、違和感を覚えてしまうのである。
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“堂が歪んで経が読めぬ”民主党の“大反省会”


  日本のことわざで「堂が歪んで経が読めぬ」という言葉がある。これは、ある僧がうまく経が読めないことの理由として「それは堂が歪んでいるからだ」と言い訳したことの意がもとになっており、現在ではそれが、自分の怠慢を棚に上げ、失敗の責任を他になすりつけることのたとえになっているのである。
 
 そのことわざを体現しているのがまさに今回の「民主党公開大反省会」である。5月11日、菅直人元首相らが「失敗」を総括する「公開大反省会」を日本橋で開催したのだが、そのやりとりがあまりにも「ヒドイ」ものだった。それらのやりとりは、枝野幸男元官房長官と長妻昭元厚生労働相も出席するなか、インターネットで生中継され、若い層からのメールの質問に答えるといった形式だった。
 
 民主党に政権担当能力がないことを指摘したのは小沢一郎氏であったが、この三年間の民主党政権の功罪は重い。外交問題、国内政治、どれをとっても評価できるものがなかった。何より、民主党の最大の反省すべき(当然の意)ところは小沢一郎氏排除を自身の政党で行いながら支持率を高めようとした点である。「国民の生活が第一」の理念を掲げた小沢氏の政治的手腕を反故にしたことの責任は重い。それによって多くの有権者が託した政権交代への期待を裏切ってしまったのである。

 ただ、私は、彼の政治手腕を活かせなかったことだけを非難しているのではない。その民主党の姿勢そのものに最大の失敗があったと思うのだ。国民からの支持を獲得するために自身の政党に属する議員の排除をすることで、自身の政党の潔白さをアピールしようとするそのやり方が浅ましいと主張しているのである。

 当時の民主党の雰囲気は異常であった。同時にマスコミの姿勢も評価できるものではない。何をするにも「親・小沢」か「反・小沢」で括ってしまうのである。そして、民主党もその報道に乗じてしまい、結果的に「反・小沢」を掲げることが政権運営の“大義名分”としてしまったのである。これこそ民主党の最大の反省すべき(当然の意)ことである。同じ政党の大物議員の排除で国民に媚を売る姿勢は本来の政治のあるべき姿からかけ離れている。

 そして、何より問題なのは、この「大反省会」で未だにそのことを全く理解していない点である。それどころか、「(小沢氏は)自分の政治的影響力が一番大きくなるには何を言えばいいかと、それがすべての判断基準になっている。(政権交代前から)傾向は分かっていたけど、これほどひどいとは思わなかった」とまで発言していたのである。

 また、連立が実現できなかったことに対し、自民党を批判して、自身の政権運営を正当化しようとまでしているのだ。たとえ菅直人氏が一時的であったとしても、日本の総理大臣だったということは憲政史上最大の汚点であると私は思う。彼には小沢氏のことなど何もわかっていない。おそらく、小沢氏の政治手腕に嫉妬しているのである。

 それにしても、「大反省会」で“責任転嫁”の発言の数々を恥ずかしげもなく繰り返す菅氏の姿勢には思わず仰け反ってしまった。民主党には少ないながらも良識のある政治家もいる。菅氏の「堂が歪んで経が読めぬ」的姿勢に嫌気が差した議員がいたならば、即刻、離党するべき(適当の意)だ。
 
 小沢氏を「ヒドイ」と批判する菅直人氏。北朝鮮管理団体に数千万円の献金をしていた彼の方こそ日本とって「ヒドイ」政治家ではないのだろう、か。後日、菅直人氏のファッションからも政治を語りたいと思います。