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2013年07月

福島みずほ氏の“党首辞任”と“白スーツ”

福島 瑞穂。57歳。参議院議員。弁護士。元内閣府特命担当大臣。前社民党党首。

 女性国会議員というのは、自己顕示欲の多い人が多いのか、はたまた変わった人が多いのか、どういうわけか、ド派手でセンスの悪いスーツを“堂々と”お召しになっている方が多い。そして、中でも一際目立つ格好をしていらっしゃるのが、福島みずほ氏である。無論、言うまでもないが、悪い意味で、である。先日、参議院選挙の結果を受けて社民党党首の辞任会見をしたのだが、これは社民党の転換期というより、むしろ彼女自身の大きな変革の表れなのではないだろう、か。

 彼女が党首に就任してからずっと、社民党の選挙結果というのは芳しいものではなかった。これまでにも何度も彼女は責任を取るべき(当然の意)ときがあったはずである。毎度、毎度、選挙特番で、彼女による同じような「敗戦の弁」を聞かされた記憶が私にはある。そして、今回、ここに来ての辞任である。確かに今回の参議院選挙結果は見方によれば民主党よりも“屈辱的”な「敗戦」であったのかもしれない。“お仲間”の共産党があれだけ議席を獲得したにも拘わらず、社民党は1議席を減らしたという事実は看過できなかったはずである。しかし、いつもの福島氏ならば世間の批判や世論を無視して「続投」していたのではないだろう、か。今までの彼女にはそういった、世間との「感覚のズレ」があった。それは社民党の政策もそうであるし、彼女の服装にも良く表れていると思う。

 彼女は今まで、オレンジやピンクやブルーといった、見ているほうが恥ずかしくなるような色のスーツを様々な場面で着ておられた。沖縄県の名護市辺野古地区基地移設の閣議決定のときにお召しになっていた、ピンクのジャケットとインナーに合わせた黒地にピンクの横縞の服はとても“印象的”だった。マスメディアからの注目が集まるとわかっているにも拘わらず、ああいった派手で落ち着きのない、主張の激しい格好をされる彼女の“メンタリティー”に私は思わず“閉口”してしまった。

 好きな服を着るのは個人の自由である。しかし、彼女は政治家である。イメージを大切にしなければならない職種である。国民からの好感を得なければならないはずなのだ。ましてや移設反対で連立解消をしようしているときである。ただでさ、多くの国民からの支持を得られないはずにも拘わらず、あのド派手なスーツを着てしまったのだ。「その服がどれだけ国民に悪印象を与えるのか」ということがわからないということに私は驚き呆れたのである。そこには明らかに国民との意識乖離があった。基地問題で国内情勢が揺れ動いているなかでの、あの服である。注目されるとわかっていながら、あれを選んでしまう彼女にはやはり周りが見えていないのだ、と私は確信した記憶がある。

 しかしながら、最近の彼女は以前より格段にセンスの良いスーツをお召しになっている。“デザインはともかく”、色も白系が多くなった。確かに、現在の女性議員のスーツは白が流行しているようにも見受けられるが、今までの福島氏ならばそれでも原色やネオンカラーのスーツを着ていたはずである。今回の辞任会見のときも、最近の彼女のお気に入りらしい、襟の縁のみラインの入った白いスーツをお召しになっていた。

 もしかしたら、彼女にも少しずつ周りが見えてきたのかもしれない。「いかに今までの政策や主張が国民の意識と乖離しているか」ということにも気づき始めたのかもしれない。それが、選挙結果を受けての党首辞任と好感の持てる“白スーツ”に表れていると私は思うのだ。

 フェミニストの多くが女性からの支持を得られないことが多いということは言うまでもない。それは政策的にもそうであるのかもしれないが、もしかしたら、ファッション面でも嫌悪感を抱いている女性が多いからではないだろう、か。社民党が「女性に優しい」政党であるならば、まず、数十年前のホステスのようなド派手なスーツをお召しになるのをやめる“政策”から始めてみてはどうだろう、か。
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雁風呂と日本人


 先日、友人と、かつてのCMがいかに素晴らしいものが多かったかという話になった。最終的に「昔のCMには目で楽しませるだけでなく、耳に語りかけるものが多かったのではないか」という結論に至ったのであるが、どうにも近頃のコマーシャルにはコピーや言葉で唸らせるものが少ない。大抵はド派手な音楽とド派手な演出である。
 
 私はサントリーの角瓶ウイスキーのCMがとても気に入っている。特に、そのCMで取り上げられる物語がとても興味深いもので、そのことを思い出すたびにウイスキーが飲みたくなるのだ。

 そのCMとは「雁風呂」の話を中心に展開されるもので、その物語の説明とどこかの漁村と漁師が侘しく映像になっており、最後に山口瞳氏の「哀れな話だなぁ、日本人って不思議だなぁ」という一言で締めくくられる、アレだ。
 
 それで、この「雁風呂」の話であるが、これは落語にもある有名な話なのでご存知の方も多いと思うが、簡単に説明すると、こうである。

 秋になると、日本に雁が飛来する。そのときに雁は木片を口にくわえ、または足でつかんで運んでくるのだ。そして、渡りの途中、雁は疲れたら海上にその木片を浮かべ、その上で休息するのだというのだ。そして、日本の海岸まで来ると海上で休息する必要はなくなるため、不要となった木片はそこで一旦落とされる。そして春になると、再び落としておいた自分の木片を見つけて、それをくわえて再び海を渡っていく。雁が飛び立つ季節が終わっても、海岸にまだ残っている木片があると、それは日本で死んだ雁のものであるとして、供養のために、漁村に住む人々が流木で焚いた風呂を焚くという話だ。

 実際には雁ほど大きな鳥が枝を1本、海に落とし、海上で休憩することなど物理的に不可能である。これは民話の一種には違いないのだが、そこがまた日本人の素晴らしさである。海岸に流れてきた流木やら小枝やらに対して、こういった物語を作ってしまうのだから、何とも不思議である。それも山口氏のご指摘通り、“哀れな話”を、である。

 CMそのものに対する評価で言えば、やはり、山口氏の最後の言葉があるからこそ、相乗効果が出ていると思う。最後に「哀れな話だなぁ、日本人って不思議だなぁ」と締めくくられることで、このCMの素晴らしさが表れている。そして、何より“哀れな話”であり、“日本人って不思議だなぁ”と思わせるからである。

 しかしながら、何故、海岸に流れてきた流木やら小枝やらを見てこういう物語が作られるのだろう、か。そして、その物語の作者が不明であるということに、私は日本人の底力を感じるのである。かつての日本人は皆、文学者だったのではないか、と。

小沢一郎氏に学ぶ。なぜ、政治家は選挙に強くなければならないの、か

昨日、今日と猛暑になった日本は参議院選挙戦の真っ最中である。特に休日は各地で候補者たちが奮闘していたようだが、選挙戦のときだけ躍起にならざるを得ない政治家と言うのは何とも情けない。選挙カーによる候補者名の宣伝などはまさに“愚の骨頂”ではないだろう、か。

私が言いたいのは選挙そのものに対する政治家のあるべき姿である。つまり、そういうときだけではなく常日頃から自分の政策や理念を丁寧に有権者に説明し、自分の“ファン”を増やすべきだと思うのだ。選挙こそ民主主義の根底にあるものだから、大切にしなければならない。しかし、それに対し、マスコミが「選挙だけを念頭に置いている政治家」として小沢一郎氏の批判などをすることがあるが、私は選挙に対する彼の考え方をとても評価している。

『小沢主義』(集英社インターナショナル)の中で彼は次のように述べているのだ。

「言いたいことを言い、自分が信じてきたことを実行するためには、選挙に強いということが大前提になる」中略「本当に政治家としての志を貫きとおすためには、まず自分の理解者を一人でも増やすことだ。自分の足元を固めるのが政治家として活動する上で最優先のことなのである。政治家は一人の力で働いているのではない。政治家に本当の意味での力を与えるのは、やはり選挙民の支持なのだ」

私はこれほど明確に選挙に対する理念を語る政治家を他に知らない。それに対して、「選挙屋」とマスコミが揶揄するのは筋が違う。無論、時々の選挙のたびに有権者に媚を売り、実行できそうもないことを大声で発信するのはもっと違うとも思う。しかし、選挙民を大切にすることは民主主義の根底であり、それこそ既得権益からの脱却をするための唯一の方法であると思うのだ。選挙に弱ければ組織票に頼らなければならない。それは結果的に“改革”への妨げになるだろう。

ただ、そんな確固たる理念を持った小沢氏の、新しいCMには少々がっかりした。小沢氏周辺のスタッフによると、それでも“賛否両論”の“賛”が多いらしいのだが、私にはどうにも頂けなかった。かつての新進党のCMよりも“安っぽい”感じがしたのだ。ここで説明するまでもないので、あえて内容については書く気はないが、あれでは週刊誌に書かれていたように笑われてしまうのではないだろう、か。

 しかしながら、選挙に強いということが、いかに大切かということは彼から学ぶべきことである。日本の公職選挙法の「戸別訪問禁止」に対して疑問を呈している小沢氏の考え方は政治そのものへの挑戦である。常に一軒一軒訪問し、有権者と触れ合い、自分の理解者を増やしていけば、選挙カーなどというものはいらなくなると私は思うのだ。

 実際、海外では選挙カーというものがあまりないらしい。先日も、外国人旅行者が珍しそうに、選挙カーの写真を撮りながら、周囲にいる日本人に「What is that?」と尋ねていた。選挙カーでの街宣により、その候補者に投票する人がどれだけいるのだろう、か。確かに一定の票数はあるのかもしれない。しかしながら、それは“タレント候補”を擁立して票を獲得することよりも、よほど“不健全”なやり方ではないだろう、か。
 

“紹興酒”と“ワイン”

 先日、ある大学の先生数名と食事をする機会があった。中華料理を食べに行くということになったのだが、実を言うとそれは私にとって久々の中華料理であった。私は“思想信条”を理由に長い間、自分の口からは「中華料理を食べに行こう」と決して言わないようにしているのだ。愚かな話だと思う方が多いかもしれないが、人間の好き嫌いなんてものはそんなものである。

 結果的に食事会はいろいろな話で盛り上がり、私は勧められるままに「一杯また一杯」と楽しく“紹興酒”をガブガブ飲んでいた。ところで、この紹興酒であるが、私は以前、ある台湾出身の方から、紹興酒に関する面白い話を聞いたことがあるので、ここに書かせてもらいたいと思う。

 その方の話によると「紹興酒」はもともと紹興市付近だけで製造されていたものであるらしいのだが、どうやらその紹興市というのは、もともと、とても貧しい街であったらしいのだ。そこで女児が1人生まれると、近所の人々がお祝いにお酒を持ってきてくれるのが風習となっており、そして、その女の子の父親は甕に様々な家庭から貰った酒を入れ、十数年寝かすことになる。そして、15、6歳になった女の子が結婚するときに、貧しい故に娘に持たせる物が何もないということで、「嫁入り道具」として、その「紹興酒」を持たせるのだそうだ。だから、紹興酒はもともと15年物が一般的であったらしいのだが、近頃では“需要と供給のバランス”により5年物だったり、10年物だったり、いろいろな物が流通している。中国がいかに“資本主義経済”であるのかということが、「紹興酒」1つとってもわかる、というのはちと大袈裟な話か、ナ。それにしても、これはなかなか興味深い話である。“貧しい”ときの“豊かな”知恵ではないだろう、か。

 さて、話はだいぶ脱線してしまったのだが、その食事会にはまだ続きがある。話がいろいろ盛り上がっているときに、たまたまその先生たちの同僚の1人が何人かとともに入店してきた。彼は中国人で大学の先生らしいのだが、来て早々、私たちのテーブルに新たな紹興酒を差し入れてくれたのだ。優しい顔をした気さくな感じの方で、「中華料理には一番紹興酒が合います。是非、皆さんで飲んでください」と言われていた。私はそれを聞いて、「なかなか気前のいい人だなぁ」なんて思いながら、図々しくも、頂いた紹興酒をグラスに注ぎ、砂糖を入れようとしたのだが、すると、中国人の彼に「それ(砂糖を入れるの)は台湾の飲み方です。中国では常温でそのまま飲むのが普通です。それが一番美味しい」と指摘され、やはり、「中華思想ここに見つけたり」とちょっとがっかりしてしまった。

 そんなこんなで、食事会が終わり、帰ることになったのだが、何気なく、先ほどの中国人先生のテーブルに目を遣ると、なんと赤ワインを楽しそうに飲んでいるではないか。「中華料理には紹興酒が一番合う」と私たちに差し入れまでしてくれた彼が赤ワインをゴクゴク飲んでいるのである。私はここに、中国の「愛国心」と「外交」の姿を見たような気がしたのだ。大袈裟かもしれないが、そんな風に感じたのである。つまり、他国の人には「母国の酒」をアピールし、「愛国心」を見せつけているように思えたのだ。もしかしたら、見せつけるつもりではなかったのかもしれない。ただ単に「母国の酒」を勧める「愛国心」なのかもしれない。しかしながら、実際に彼はあれほど勧めた「紹興酒」ではなく「ワイン」を飲んでいたのである。まぁ、確かに、ワインと中華料理の相性が良いのもよくわかりますがね…。

 それで、また、止せばいいものを、酒の勢いもあってか、口数の多い私は帰り際に、わざわざそのテーブルに行き、そのことを彼に指摘したのである。そしたら、彼は、笑いながら「でも、これは長城のワインだからね」と言ったのだ。それを聞いて私はなんとなく可笑しくなってしまった。でも、やはり、同じ中国産にしても、「ワイン」ではなく「紹興酒」を勧めたところに中国外交の“したたかさ”を見たような気がするのだ。

 しかしながら、何だかんだ言いながらも「紹興酒」を御馳走になっておきながら、こんな風にブログに書いてしまう私という人間は、何とも底意地の悪ーい「保守」でしょう、か。