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2014年01月

“公共放送”NHK籾井会長発言に思うこと

 今月の28日、籾井勝人会長(70)が就任会見で、従軍慰安婦問題や領土問題について持論を述べたことが物議を醸している。
 
 NHKの会長という、国内外的にも影響力のある要職に就いた人物が、会見の場で、政治的にセンシティブな発言を次から次へと発言していったというのは、確かに、軽率だったと思う。いくら、「個人的な意見」だと前置きをしたとしても、今日の日本のマスコミにはそれが受け入れられないことは「靖国参拝」を見ても明らかだからだ。そして、やはり、「公人」として慎重に考慮したうえでタイミングを見計らって、ああいった意見を述べるというならばともかく、就任早々、物議を醸すような持論を展開するというのは、彼自身の見識を疑われてしまう。自身の立場に対する考慮が足りないというような批判があることを認識するべきだったと思う。
 
 しかしながら、同時に私はある種の期待も抱いた。籾井会長のあの場での言動が良いか悪いかはともかく、内容そのものは支持したいと思う。特に今までのNHKとは違う空気を感じたからだ。国外に向けて日本政府の立場を発信するというのは至極真っ当であると思うし、もし、彼が政府見解と違うことを報道すると宣言したならば、それには批判があって然るべきが、彼は政府と歩むべき道を同じにするという趣旨の発言をしたのだ。
 
 そして、何より、その他のマスコミの報道で一番首を傾げざるを得ないのが、籾井会長を選任した経緯についての批判である。つまり、NHK会長選任前に、政府によって、意図的に経営委員が、安倍政権と近しい人物から任命されていることに対する批判である。
 
 私はこの政府の対応は当然のことだろうと思う。経営委員を政権側と思想的にも政治的にも近しい人物にして何が問題であるというのだろう、か。おそらく、批判の主な理由は「“公共放送”にも拘わらず政府側の意向が介入することは放送の中立性を欠く」といったところだろう。しかし、私はむしろ、今までのNHKの姿勢にこそ問題があると思う。
 
 “公共放送”であるということで、国民から多額の受信料を徴収しておきながら、その番組内容や民放に比べての人件費の多さなど、その製作過程において国民の意思が入る余地が全くなかった。そして、さらには歴史認識を基調とする番組では「左翼的な偏向番組」を作り続けてきた事実がある。民放であるならば全く問題はない。しかし、“公共放送”である。“公共放送”だからこそ政府の意向や正しい歴史認識に基づいた番組を放送する義務があるのではないだろう、か。それを、政府が経営委員を意図的に任命したことで「放送の中立性」を欠くというのは全くおかしな話だ。今まで、何ら規制やら監視やらがないせいで、左翼的な放送がまかり通ってきた。それに対する責任は重いはずだ。日本の風潮として不健全だと言わざるを得ないのはまさにそれである。「自虐史観」をしていることが正しい歴史認識であるという風潮だ。「自虐史観」であれば何ら問題はなく、政府が行動することに関しては「報道の自由」を国家が奪おうとしているとして、権力の暴走と批判する。これは明らかに異常である。
 
 私は、“公共放送”なのだから、国民の意思は反映されるべきだと思っている。そして、その手段として、政府が経営委員を近しい人物や思想的に共鳴している人物を任命することは何ら問題はないし、むしろ健全なことだと思う。主権者たる国民の意思が反映されるのは選挙なのだから、その選挙によって信頼をより多く得た方が政権を運営することになるからだ。その政府の意思は「民意」になるはずだ。だから、今回のNHK会長選任前に経営委員を政府が数名任命したことを批判するマスコミは民主主義というものを全く理解していないことになる。国民から“公共放送”として受信料を徴収しているならば、NHKも政府やら何やらにその使途を監視されるべきである。それはNHK側から提出された予算を国会でただ単に追認するだけではなくて、制作過程において国民の意思が反映されるべきだろう。だから、NHK会長の会見の場での軽率な発言はともかく、彼のような思想の持ち主がNHKの会長になったということは歓迎するべきことだと思う。
 
 そして、ここからはまた話が逸れてしまうが、私はそもそもNHKの存在意義について、もう少し検討するべきだと思う。組織が巨大化し過ぎていると思うのだ。解体するは必要はないが、民放と比べても異常な資金源とスタッフの数である。会長の給料を見て驚いた人も多いのではないだろうか。NHKは視聴率を気にする必要はないのだから、もう少し良識的な番組を作るべきだ。予算が足りないのならば、チャンネル数を減らせばいい。BSも含めて数が多すぎる。大河ドラマでも表面的に人気のある俳優を出して視聴率を獲得しようとする姑息な考えが私は気に入らない。NHKも自分たちの在り方を考え直すべきだ。国民の側も疑問視するべきである。私には、むしろNHKそのものが「権力」になっているように思えるのだ。
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追悼 やしきたかじんさん ~面識もない1人の大ファンとして~


 歌手・タレントのやしきたかじんさんが、2014年1月3日にお亡くなりになった。あまりにも衝撃的なことで、最初にその報道を目にしたとき、私は信じられなかった。そして、たかじんさんがお亡くなりになったという報道をいくつかテレビで見ているうちに涙が溢れ出た。面識のない芸能人の方がお亡くなりになって、涙したのはやしきたかじんさんが初めてのことだった。正直、こんなに悲しい気持ちになるとは思っていなかった。そして、その報道が7日に発表された理由が「正月のめでたい気分を自分のことで悲しませたくない」からとのたかじんさんの遺志をくんだということを報道で知って、また泣いた。

 私はやしきたかじんさんが芸能人のなかで一番好きだった。大ファンであった。私は関西出身ではないが、小さいときからやしきたかじんさんの影響をとても受けていた。憧れの人であり、本当に好きな人であった。どの番組をきっかけに彼の存在を知ることになったのかということは、はっきり覚えていないが、自分の友人や東京ではあまり知られていないということも何故か私にとってはとても嬉しいことだった。そのうちに彼の歌の存在を知ることになり、今ではカラオケに行けば必ず彼の歌を数曲歌うほどだ。「東京」は本当によく歌う歌で必ず歌うようにしている。私の友人には私が「やしきたかじん好き」であることは浸透している。

 やしきたかじんさんの50歳の記念のコンサートは何度も見た。そのなかのトークも最高に面白くて、普通の歌手の方ではあり得ないほどよく喋るのだ。そして、それが本当に面白い。歌も特徴的な歌い方であり、歌に対する情熱を感じる歌い方であった。司会者としても超一流でたくさんの伝説がある。私は「たかじんnoばぁ~」という番組を初めて見たときに本当に面白くて、現在のテレビにそういった面白い番組がないことに不満を持った。私はやしきたかじんさんほど面白くて素敵な司会者を知らない。彼の番組を見たことがない人でテレビのことを語る人がいたとすればそれは全く信用できない。あれほど面白い番組を私は他に知らない。

 とにかく、やしきたかじんさんという人は凄い人なのだ。ナンシー関さんもやしきたかじんさんのことをコラムに書いていたが、たかじんさんは最高に面白いタレントであるのに、超一流の歌手であるいうことも面白い。失礼な話かもしれませんが…。

 東京でやしきたかじんさんがお亡くなりになったという報道をしているときに、番組観覧者の人々が、彼の伝説(暴れる歌手の頃や味の素事件など)を聞くたびに笑い声が聞こえてくることに私は不思議な気持ちになった。「人の死」という悲しいベクトルのはずが、彼の存在を知らない人にとってはあまりにも新鮮なことで笑ってしまう人がいるのだ。それが何ともやしきたかじんさんらしくもあり、嬉しくなった。同時に悲しくもなった。「ミヤネ屋」では100分近くも時間をさいてくれた。そして、東京でもたくさん、たかじんさんが亡くなったことを伝える番組が流され、正直、たかじんさんのことをあまり知らない人がいるだろうことを想像すると痛快になった。「何でこの人のことをこんなに報道しているんだろう?」という風に思う人がいることを想像すると、だ。おこがましいことだが、それはたかじんだんも痛快に思っていることのような気がする。私は何故か「それ見たことか」という痛快な気持ちになったのだ。「こんなに凄い人が芸能界にはいたんだぞ」という気持ちになった。しかしながら、皮肉にも、東京などでは、それが彼の死を伝えるときであったということは悲しくもある。がしかし、やっぱりそれも、やしきたかんさんだからのことだと思うようにした。この先もこんなことはないだろう。そんな芸能人はいないだろう。それはやっぱり凄いことだ。

 これからのテレビはますますつまらなくなるだろう。たかじんさんのようなタレントがいなくなったからだ。彼は歌手であり、司会者であり、批評家であった。「タレント」とは英語で「才能」を意味する。そういった意味では彼はまさに天才であった。そして、何より私は大好きだった。

 まだまだ書きたいことはたくさんあるが、なかなかまとめることができない。とりあえず、この辺で終わりにしたいと思うが、これからも、たかじんさんのファンであり続けたいと思う。私にとってやしきたかじんさんは本当に憧れの人だ。とても優しくて面白くて、神経質で寂しがり屋で毒舌で、それを隠すためにたくさんお酒を飲むところも大好きだ。たかじんさんがそれを隠すためにたくさんお酒を飲むということを、テレビを通じて知るようになり、おこがましい話であるが、それを真似して今でも私はたくさんお酒を飲むことがある。面識もないただの1人のファンであるが、本当に大好きだった。やしきたかじんさん、心よりご冥福をお祈りいたします。