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2015年11月

“メジャー”な天海祐希の“マイナー”な嗜好

天海祐希。48歳。研音所属。
元宝塚らしからぬ、とまでは言えないが、“元宝塚”を肩書きとしなくても女優として成り立っている数少ない女優であると私は思う。私は彼女は“元宝塚”としては珍しい存在であると思っている。それはいろいろな観点において言えることではあるが、その1つに「客観性」というものがある。彼女はものすごく客観的に自分を見ているような気がするのだ。これは何も、宝塚出身女優が自分のことを見えていないと言っているのではない。いや、ちょっと言っているか。

しかしながら、この彼女の類稀なる(ちょっと大袈裟かな)「客観性」を生み出しているのは、紛れもなく彼女の「お笑い好き」にあると私は思っている。

私の記憶が正しければ、というか、勝手な思い込みだと思うが、小島よしおを世に出したのは天海祐希ではないかと思う。まだ小島よしおがそれほど認識されていなかったときに、ある番組(番組名は失念しました。当時はまだこんな風にテレビを見ていなかったので)で、天海祐希が気になっているものとして、小島よしおと冠二郎を紹介したのだ。「本当は面白い人」(ちょっと意地悪な意味に聞こえるようにあえて言うが、“本当は”というところが大切です)の代表のような冠二郎をチョイスする天海祐希の“センス”は礼賛の他ないが、もう1つのチョイスである、小島よしおは、その当時、それほど認識されていなかったはずである。私の記憶が正しければ、その後に「そんなの関係ねぇ」が大ヒットしたので、私は小島よしおを世に出したのは天海祐希だと勝手に思い込んでいるのだ。

何もそれだけで言うわけではないが、天海祐希はかなりのお笑い好きだと思う。バラエティーに出ていても、“間”の取り方が秀逸であるのだ。そして、それが女優としてもとても良いように作用しているように思う。何か面白いことを積極的に言うわけではないが、“間”が良いのである。だから、彼女がバラエティーに出ていても安心して見ていられるのだ。だから、何なんだ、と言われればそれまでだが。

そして、私は、天海祐希が、本当は、まだ世に出ていない面白い芸人をたくさん知っているのではないかと思うのだ。それは、小島よしおの例があったからと言うわけでもなく、『Around40〜注文の多いオンナたち〜』(TBS系)のときに山本高広を好評価していた主人公の役柄のイメージからくるものでもなく、彼女自身が醸し出す「お笑い好き」の「お笑い」が、どうも“マイナー”ものを指すような気がしてならないのである。その意味では『コサキン・天海の超発掘!ものまねバラエティーマネもの』(フジテレビ系 不定期放送)はとてもバランスが取れていると思う。だからこそ思うのは、本当は、関根勤や小堺一機なんかよりもよっぽど面白いお笑い芸人を知っているのではないだろう、かということである。

だけど、天海はそれをひけらかすわけでもない。聞かれたら、「皆さんには受け入れられるかわかりませんが」というような謙虚な気持ちで、答えるのが天海祐希である。

天海祐希とはそういう女優である。って、何偉そうに、言ってんだ。全部、勝手な憶測のくせに。
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田中康夫氏の指摘する「行政側の人もまた一人の消費者である」ということと『ナポレオンの村』


 私は前期のドラマで「ナポレオンの村」(TBS系列 毎週日曜日21時放送)を毎週拝見していたが、これを見ていて、私は公務員のあるべき姿を考えさせられた。それは、「公務員(役人)は市民のために一生懸命働かなければならない」といった、そんな紋切り型のようなことではなく(もちろん、それも大事ですが)、田中康夫氏が指摘する「行政側の人(公務員など)もまた一人の消費者である」ということである。私は、この”消費者”を”市民”と解釈しているのだが、行政側の人も一人の市民であることには変わりないということを私たちは忘れているのではないだろう、か。

 このドラマをご覧になった方や、原案である高野誠鮮氏の『ローマ法王に米を食べさせた男 過疎の村を救ったスーパー公務員は何をしたか?』(講談社)を読まれた方は、よくおわかりだろうが、主人公の公務員は自分の仕事の限界を決めずに、新しいことを率先して実行するというスタイルで村おこしの成功を収めたのである。それは本来、政治家が行動することであって、公務員の仕事ではないと判断する方もおられるだろうが、実際、こういったように、主体的に行動している公務員の方も少なくないのではないだろうかと思ったのだ。
 
 田中康夫氏が指摘する、「官VS民」、「都市VS地方」などの、二項対立の不毛さに気づくことなく、そういった報道に振り回されてきた私たちはいつの間にか「公務員=悪」ということが念頭に置かれているのも事実で、おそらくこのドラマも、「こんな公務員は滅多にいないだろう。所詮はドラマでしょ」といった視点でご覧になっていた方も多いだろうと思う。私は、そこに、市民の側も行政の側も問題があるのだと思う。

 第5話で研修に来た他の県の職員である、筧利夫氏扮する公務員の方が、主人公ととともに村おこしに携わっていく中で、自身の子どもとの関係を修復する姿を見て、私は、「行政側の人もまた一人の消費者である」という田中康夫氏の考えが、大きな意味合いを持つだろうことを実感したのである。理想論みたいな話に聞こえるかもしれないが、行政側もまた、自身も消費者の一人であるという自覚を持つことでサービスの提供の仕方も変わるのではなないだろう、か。

 どちらにせよ、昨今の日本社会の構造には、行政側も、市民の側も、「行政VS市民」といった構図を意識しているように思う。それはマスコミの報道を見れば明らかである。もちろん、それらを取っ払うことはどちらにとってもリスクのあることかもしれない。しかしながら、その垣根を超えない限り、どちらの側にも本当の意味での幸福は望めないだろう、と私は思う。

 「チャンスをもたらしてくれるのは、冒険である」 ナポレオンより