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2016年07月

ファッションから政治を語る、2016年東京都知事選《小池百合子氏、増田寛也氏、鳥越俊太郎氏》

毎日猛暑が続いている東京は都知事選の真っ只中である。20数名の立候補者がいるそうだが、報道は小池百合子氏、増田寛也氏、鳥越俊太郎氏の御三方に絞られている。

「ファッションから政治を語る」の参議院総括の前に、現在、選挙戦中の“有力候補”3名について言及したいと思う。


まず、鳥越俊太郎氏。ジャーナリストということで、普段からスーツ等を着用されていないが、共同会見でもノーネクタイのTシャツにジャケット姿という、“今までの都知事”らしからぬ出で立ちである。石原氏や猪瀬氏も、スーツ等を着用しない、作家という職種であったが、御二方ともネクタイをされたりスーツを着たりすることもよくある知事であった。

しかし、鳥越氏はおそらく、この先、もし都知事になられても、あまりスーツを着られないタイプだと思う。同じジャーナリスト出身の他の候補者や、普段はネクタイ姿でない候補者までもがネクタイをしているなか、鳥越氏は自身のスタイルを崩していない。そういった意味では、政策面だけでなく、“ジャーナリスト”としてのプライドが高いのだと思う。それが“都知事”として相応しいことなのかはわからないが、官僚的でない、政治的でない、という“ジャーナリスト”というイメージを大切にされているのだろう。

しかしながら、報道等で健康面に関することが心配されており、私は直接拝見したことがないのではっきりと言及はできないが、この暑い外でも、ジャケットを羽織って街頭に立っていることを考慮すると、もしかすると痩せていることを気にされているのかもしれない。どちらにせよ、“ジャーナリスト”鳥越俊太郎を前面に出していることはファッションの面からもよく表れている。ただ、無党派層の多い東京で当選するためには、“アベ政治を許さない”人々以外の票を集める必要があり、そういった意味では会見くらいスーツをきたりネクタイをしたりしたほうが、「地方自治経験、行政経験、政治経験のない」“ジャーナリスト”のイメージを払拭できたのではないだろう、か。


次に、増田寛也氏。地方自治経験、行政経験もあるということで、元官僚らしく、しっかりとスーツを着用されて会見に臨まれており、選挙戦当初はスーツであり、その後もノータイにスラックスといった、一般的なクールビズ姿であったが、最近ではラガーシャツを着用されるなど、ある種の“ポピュリズム”とも言われ兼ねない行動に出ている。

鳥越氏が高齢という報道をされているということもあり、もしかしたら、若さをアピールする目的があったのかもしれないが、この暑さでピシッとスーツを着るのは逆効果にせよ、せめて、しっかりとした対立軸を示すためにも、上着を羽織らずネクタイ姿の方が好印象のような気がする。大切なことは、有権者に示したい、その人のイメージに合わせた服装をすることだ。それが政治ファッションである。


最後に小池百合子氏。私はこの3人の中で彼女が、ファッション面も含めてイメージ戦略という意味では一番功を奏していると思う。薄いグリーンをイメージカラーとしており、この夏の暑い中でも爽やかさがあり、どことなく、クールビズを導入をした環境大臣のイメージにも合っていると思う。薄いグリーンというのは、自民党のカラーでもある“濃いグリーン”と良い意味で距離感が保てていると思う。

また、女性政治家にありがちな赤やピンクのド派手な服にならないため、都民が今求めているであろう“着実な都政”をしてくれそうな印象がある。イッセイミヤケのプリッツプリーズと思しきジャケットを着用されており、個性はあるものの、それが決して嫌味でもなければ暑苦しくもなく、印象的にも悪くないと思う。

街頭ではハチマキ姿であり、自民党の公認を得られていないという境遇から彼女を“ジャンヌダルク”に例える報道もあるが、その姿からも「頑張って戦っている私」がよく出ていると思う。そういった意味では、ハチマキ姿も含めたファッションにしても、彼女が一番、イメージ戦略的にうまくいっているような気がする。


世論調査報道や週刊誌報道等でも、熱を帯びてきた都知事選であるが、いったい誰が「東京都の顔」になるのだろう、か。

かつて、フランスの哲学者ロラン・バルトが「ファションは《わたしはだれ?》という問いと戯れている」と表現したが、都知事候補もまた都民に相応しい自身になるよう、日々、《わたしはだれ?》と問うているのかもしれない。
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18歳選挙権年齢引き下げに思う。ーPR動画や選挙特番での“原宿系タレント”の起用。それってどーなのよ!?ー

参議院選挙の結果を受けて、「政治とファッション」の観点からも、論評したいと思っているが、まずその前に、今回の参議院選挙の「18歳選挙権」のPR動画(東京都選挙管理委員会)と投開票日当日の選挙特番に申し上げたいことがある。

今回から選挙権年齢が18歳に引き下げられ、各地で高校生を対象としたシンポジウムなどが開催されていた。実際、各党も18、19歳の有権者に向けて多くのメッセージを送っていたように思う。

選挙特番を見る限り、とりわけ小泉進次郎氏は積極的に彼ら10代の有権者に訴えかけ、各地で、18歳の高校生と思しき方々を選挙カーの壇上にあげるなどという即興で周囲を沸かせていたと思うが、それらの彼の選挙応援には目を見張るものがあり、知名度、人気度ともにトップクラスである彼の、新たな“政治的センス”を垣間見たように思う。これは何も私が小泉進次郎氏を支持しているというわけではないが、しかしながら、その彼の人気と、それらを生かした当意即妙な“政治的センス”はある種の実力として認めざるを得ない、ということである。

おそらく彼は新たな若い有権者を大切にすることで、彼らから得られる直接的な票だけでなく、そのパフォーマンスから見受けられる寛容さに集まる、より多くの票を期待していたのだと思う。

18歳に選挙権年齢が引き下げられたという話題を巧みに利用した彼の“政治的センス”(別な言い方をすれば「鼻が効く」ということでしょう、か。)は功を奏したのではないだろう、か。


そんな18歳選挙権年齢引き下げによる、初の国政選挙であるが、まず、東京都のぺこ&りゅうちぇるさん起用のPR動画に私は「それってどーなのよ!?」と思ってしまった。もし、選管側が、10代の有権者に「政治を身近に」と思って欲しいという理由だけで彼らを起用したのだとすれば、私は「ちょっと違うんじゃないか」と思うのだ。誤解を恐れずに申し上げるならば、それは若者や有権者を愚弄していると思う。

私は、ぺこ&りゅうちぇるさんも好きだし、面白いと思う。しかし、「政治を身近に」と思わせるために彼らを起用したのだとしたら、それはあまりにも短絡的な投票率向上を目的とするキャンペーンではないだろう、か。そこまでして、投票率を上げる意味はあるのだろう、か。私にはそれがわからない。そんなに投票率を上げたいのならば義務投票制にすれば良い。現にオーストリアなどはそうしているし、海外には義務投票制を採用している国もいくつかある。

高校生も含めて、しっかりとした「シティズンシップ教育」(市民教育)をした結果、投票率が上がるならば民主主義が機能しているということになるだろうが、彼らの起用での投票率向上は少し違うと思う。

私の「タレントへの個人的な嗜好の差」と批判されれてしまえば、それまでかもしれないが、私はそう思っている。

そして、フジテレビの選挙特番では、藤田ニコルさんを起用して、彼女が政治家に会いに行ったり、投票に行ったりする様子を撮影して、放送していた。しかしながら、私は彼女の行動を見ていてとても不快に思ってしまった。彼女が本当に18歳の有権者を代表する存在なのだろう、か。フジテレビだけではなく、その他の局もAKBなどのタレントを10代の代表として放送していたように思う。

私は先ほども申し上げたが、藤田ニコルさんが好きとか嫌いとかそういうことではなくて、選挙特番で彼女を起用する局の“センス”が全くわからない。政治家の不祥事などが政治的不信に繋がり、有権者の失望により、結果として投票率が低下するということもあるだろうが、こういった特番もまた、ある意味、政治的不信を煽っているのではないだろう、か。マスコミは不信を煽りすぎていると思うが、今回の特番はあまりにも目に余る放送だった。

その特番の中で、藤田ニコルさんは「自分がもし安倍総理だったらどうするか、安倍ニコルということで、安倍ちゃんになりきって行ってみたいと思います」と話して投票に行く姿が放送されていた。
おそらく、それくらい政治的関心を高めて選挙に行くという意味だったのだとは思うが、それにしても、と思う。私にはつっこまずにはいられない。

「自分がもし安倍総理だったら、自民党の候補者の名前を書くに決まっているじゃないか」と私は率直に思ってしまったのだ。

彼女は選挙についてよくわかっていないのだと思う。もちろん、それが問題なのではない。
藤田ニコルさんが悪いのではない。問題なのは彼女を起用する局のほうにあると思う。

私は自分を理想主義者だとは思ったことはないが、もしかしたら、そう批判されるかもしれない。しかしながら、これらの投票率向上のキャンペーンや視聴率稼ぎは日本の民主主義という観点から見てもとても危険なことだと思っている。

これらの放送はあまりにも国民を愚弄していると思う。私の言い方は藤田さんに対してとても失礼なことかもしれない。しかし、私は自分の“センス”を信じたい。彼女らを選挙特番(投票率向上のためのキャンペーンも含めて)で起用することは、初の18歳選挙権の国政選挙であったとしても、「政治を身近に」という意味には捉えられない。それは若い有権者も含めて、日本国民をあまりにもバカにしている行為ではないだろう、か。