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田中康夫氏は行動する〜『33年後のなんとなく、クリスタル』を読んで〜


  私は政治家としても小説家としても田中康夫氏を尊敬している。“もとクリ”である『なんとなく、クリスタル』は私の大好きな本の一冊である。そのため、今回の『33年後のなんとなく、クリスタル』はとても楽しみにしていた本であった。

 読み始めてすぐに、私は斎藤美奈子氏が帯表紙で「彼は懲りていない」といった意味がわかった。そして、その懲りないブリは、かつてとは違う様相であった。“もとクリ”での彼は“東京”という一つのくくり方をしながら、その東京に根付いているブランドなど、それらのあらゆる記号を知っている人には、なお楽しめるといった具合になっていたと思うが、今回はかつての種明かしというかなんと言うか、彼の“周囲”というくくり方をされていたように思う。つまり、彼の周囲の人々はさらに楽しめるといった具合に、だ。そういう意味で「懲りていない」という表現はピッタリだと思ったのだ。

 しかし、本当はそれもやや違うようにも思える。私は、先ほど、彼の小説の記号について、わかる人には、なお楽しめると言ったが、それは彼の本意ではないと思う。それでは、単に“精神的ブランド”に酔っているに過ぎないとも思うからだ。現に静岡の片田舎で生まれ育った、まだ東京を知らない私も、“もとクリ”を楽しんでいた。442の注の、その記号が何であるかということについて理解しなくても楽しく読めたのである。菅原孝標女ではないが、都を想像して楽しむ喜びがあった。それは、都を記号と置き換えてもいいのかもしれない。

 最後の方の本文に《「自分はハトを護るタカだ」と語り、エルネスト・チェ・ゲバラの写真を事務所に掲げることでも知られる元警察官僚》という記述があった。“もとクリ”であったならば、それは注になっても良さそうなものだが、実際の注は「エルネスト・チェ・ゲバラ」のところだけであった。私はその政治家が彼と懇意にしている政治家の1人だと推測し、亀井静香氏だと思っている。私は亀井氏が部屋にチェゲバラの写真を飾っていることを知らなかったが、田中康夫氏が彼と懇意にしているということは『ペログリ日記』を拝読していればわかることだ。しかしながら、私はそのときにあることにも気がついた。それは、本来であれば、《「自分はハトを護るタカだ」と語り、エルネスト・チェ・ゲバラの写真を事務所に掲げることでも知られる元警察官僚》から連想される政治家のイメージを“純粋”に楽しむはずが、すでに私の中での亀井静香氏のイメージが先行してしまい、田中康夫氏の表現を純粋に楽しめないということに気がついたのである。そのときに、もしかしたら、“もとクリ”もそのブランドをすでに知っていたならば、自身のイメージが先行してしまい、純粋にその隠れた注から想像される意味合いを楽しめなかったのではないか、と思ったのだ。つまり、菅原孝標女的楽しみはなかった、ということだ。

 今回の注が以前より不親切、言い換えるならば、彼の主観が最小限になっていたような気がすることをTwitterでも呟いたが、それは彼が政治家になって感じたことを含め、私たちに何かを問いかけているように私には感じられた。それはつまり、彼が政治家として成し遂げられなかったことを、改めて小説家として「あとは自分で考えなさい」という具合に、私たち一人一人が思考することを要求し、そして同時に何かしらの行動をすることを望んでいるのではないだろう、か、と。

  田中氏も含めて、今回の本の登場人物たちは《思うだけでなく、言うだけでなく》実際に行動している。33年前、“なんとなく”気分の良いものを買ったり着たり食べたりしていた人たちが、33年後も、その“直感”のままに、“なんとなく”おかしいと思う、その疑問を大切にしながら、政治や社会を変えようと《微力だけど無力じゃない》と思いながら行動しているのだ。

  33年前、“なんとなく”を批判した“精神的ブランドに依拠した”人々には理解できないことかもしれないが、“なんとなく”を大切にしながら、彼らは行動しているのである。もちろん、それは無意識のことかもしれない。しかし、そこは問題ではないと思う。

 由利さんのセリフの中で、田中氏が震災のときに繰り返し言っていたこととして《出来る時に出来る事を出来る人が出来る限り》ということが取り上げられていた。

 彼は小説家として新たに「出来る事」をした。政治家として成し遂げられなかったもどかしさが小説の前半部分にも書かれていたが、彼にとって今「出来る」ことはこれなのだと思う。

  だからこそ、私はあえて言いたい。またさらに小説家の後に、彼が、田中康夫氏が、再び政治家として活躍する日を楽しみにしている、ということを、だ。むろん、それは、ただ待ち望むというわけではない。私も「出来る事」をして、である。
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